2021年
10月16日
10月16日
横根公民館まつり歴史遺産ウォーク
令和3年10月16日(土)横根公民館まつりで、歴史遺産ウォーク(明神樋門・明神川逆水樋門めぐり)を実施しました。
午前9時30分、天候には恵まれて、秋晴れのあたたかな日なりました。5名の参加者でウォークが始まりました。
公民館から明神樋門・明神川逆水樋門に移動しました。
江戸時代の樋門はすべて木製だったので、災害等により度々破損し、川の管理維持は大変だった。
明治 34 年の大工事は、服部長七が考案した人造石工法により改修工事が行われた。「 長七たたき 」 と呼ばれ、日本の治水工事に大きな貢献をなした。
「 長七たたき 」 とは消石灰と真砂 ( サバ土 ) とを混ぜて、水で練ってたたき固めたもので、水中での凝固を可能にし、コンクリート工法が普及するまで広く使用された。明神樋門は、驚くべきことに竣工から 119 年以上経過した現在も堅牢な姿を留めている。県下に残る人造石工法の樋門では最初期のものです。樋門の上部は明神川が流れ、天端幅約 10 m、長さ 15 m、高さ 6.4 mである。
五ヶ村川は、上流を豊明市に発し、大府市から知多郡東浦町を通り海に入る排水路。五ヶ村川の流域一帯はかつて入江であったが、新田開発に伴い尾張・三河の両方から干拓工事がなされて境川の堤が築かれ、悪水は自然に境川に流れ込んでいた。延宝五年(1677)境川の川底は上流から流された土砂のために高くなり、雨降りには稲が水につかるようになった。北尾・近崎・大脇(現豊明市)の諸村は、横根村地内に新しい川を境川に沿って開削し悪水を海へ流すことにした。それについて、境川に流れ落ちる大坪(今はない)・皆瀬・明神・砂川の諸河川の下に樋門を築くことも含まれ、難工事であった.
と説明しました。