大倉桃山コースのガイドレポート

2019年
05月22日

朗読マツボックリ様御一行ガイド

本日(5月22日 水曜日)のお客様、愛西市 朗読マツボックリ様

17名を、ガイド6名で案内しました。

コースは歴史民俗資料館と大倉公園を、

2時間かけてガイドいたしました。

まずは、歴史民俗資料館で紙芝居を観賞して頂きました。

市職員相羽さんが大府民話紙芝居1作品、創作紙芝居2作品を

公演。

 

次に、館内の昭和の生活を再現コーナ移動しました。

皆様、昭和を体験した人達で懐かしがって見学していました。

次に、館内から出て大倉公園萱葺門へ移動しました。

萱葺門では、この大倉公園の全体説明と萱葺門の説明をしました。

全体説明として、この公園は、面積1.7haあり、

そして日本の四季を楽しめることが、

出来る日本庭園風の公園です。

園内に、桜、紫陽花、ツツジ、藤、紅葉、椿などあり、

四季折々に花が咲きます。

また、この公園は、大正8年6月に日本陶器の初代社長

大倉和親の別荘として築造されたものです。
 昭和2年には賀陽宮恒憲王殿下が、

この大倉別荘に滞在していて名古屋へ通われていました。
何故、この地に別荘を築造したかと言いますと、

明治の末期、大倉和親の父孫兵衛が洋風衛生陶器の

製造工場用地として大府の立地に着目し、

明治44年御料林の払下げを受けたました。

しかし、それを受け継いだ和親は製陶工場の建設をしなく、

かわって桃農園をつくり地域の住民の目を楽しませました。

そして桃の花に囲まれ、自然森林ゆたかな、風光明媚なこの地に、

大倉和親は憩を求めて別荘を建てました。
 その後、昭和19年にこの別荘は、

㈱名機制作所創業者加治慶之助の所有となった。

次に茅葺門の説明ですが、
 茅葺門は旧大倉和親別荘の表門として、

大正10年に建てられたもので、

国の登録有形文化財に指定されました。
 昭和54年に移築されて大倉公園の入口の門となりました。
別荘当時は門の両側に使用人などが居住していたとされる

6坪程の付属屋もあり、別荘全体が贅を尽くした、

立派なものでありました。
建造物は高さ5m、幅13m、奥行き4mです。

平成21年10月には、2回目の葺替をしました。

大府市と都市間交流を行っている岩手県遠野市の

職人の手により葺き替えられました。 

1回目の葺替は昭和62年です。

次に休憩棟へ移動しました。

 休憩棟は入母屋造り、平屋建で建築面積は

209.21㎡であります。

平面はL字形で、部屋の配列が鴈行形

になっているところに特徴です。

客の動きは長くなるものの、

サービス側は動きを短くするという

合理的な平面になっている。
2室ずつ組み合わされた部屋は、

多様な使い方が可能であるだけでなく、

庭を短形に取り囲むことにより、

庭と座敷を一体的に使用することが可能である。
 以上のように、大倉公園休憩棟は、

全体として華美を避ける一方で、

機能的で、合理的な迎賓空間となっています。

 和室10疊間には床の間、違い棚(押入れに改装されている。)

琵琶台を持つ正式な座敷となっています。

内法長押に磨い丸太を用いている。

長押上部の蟻壁に、横長隅丸長方形の開口があり、

ここに、柾割し、節を残した竹を横棧として入れています。

このように、数寄屋風意匠が特徴であります。

この後、防空壕案内しました。

休憩棟の床下にあり。その規模は、

高さ2.45m、東西4.1m、南北2.2m、その広さは約9.02㎡で、

天井には換気用のパイプ跡があり、パイプは地上に突き出ている。

大府市内はもちろん、愛知県内でも、

現存する個人住宅の防空壕として珍しいものです。

予定どうり、2時間で案内できました。
皆様、訪問有難うございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最新ガイドレポート

ガイドコース紹介

  1. 1
    JR大府駅
  2. 2
    青木塚
  3. 3
    延命寺
  4. 4
    山祇社
  5. 5
    大府観音
  6. 6
    桃山公園
  7. 7
    大倉公園