11月01日
名古屋市樋口御一行様ガイド
本日(11月1日)のお客様は、樋口様はじめ16名様を、
5名のガイドで案内しました。
コースはお客様の要望で、大倉公園→大府観音→青木塚を、
1時間30分掛けてゆったり散策しながら観光を、
して頂きました。
大府駅に10時に集合して、まず大倉公園に移動しました。
茅葺門
茅葺門北側の庭中央広場
休憩棟
ひょうたん池
全体説明として、明治の末期、大倉和親の父孫兵衛が、
陶器の製造工場用地として、大府の立地に着目し、
明治44年御料林(ガンジ山)の払下げを受けた、
しかし、それを受け継いだ和親は製陶工場の建設をしなく、
かわって桃農園をつくりました。
そして、大倉和親はここに別荘を建てました。
その後、昭和19年に別荘は㈱名機制作所創業者加治慶之助の所有となった。
昭和50年に大府市が公園として買収し翌年に公開したと説明した。
茅葺門については、平成21年以来10年ぶりにふき替えを行いました。
ふき替え作業は友好都市提携を結んでいる岩手県遠野市の、
一般社団法人遠野かやぶき保存協会の職人の協力を得て、
実施したと説明しました。
その後、休憩棟、防空壕、ひょうたん池と説明しました。
次の大府観音に移動しました。
大府観音
昔、大府観音辺りは、雑草が生い茂り田畑の収穫は悪く、
住民の不幸がつずいた。人々は、あまり寄り付かず村人は困っていた。
昭和29年それを知った柴垣法隆と言うお坊さんが中心になり、
有志で御祈祷をし、土地をならし、御堂を建て「観世音菩薩」を、
祀り供養したところ、住民たちの不幸が無くなり、
田畑の収穫も順調に良くなったそうだ。
それからは、「観音さま」と慕われ参拝する人も増えたと説明した。
次の青木塚に移動しました。
青木塚
言い伝えに依れば、水野信元に松平元康が仕掛けた石ケ瀬の戦がありました。
戦は、此の近辺で行われたと言われ、どちらの武将か分からないが、
傷ついて追い詰められ、自刃をした場所と言われ、
近くの住民が気の毒に思い、塚を建て供養した所で、
今でも近くの方達が供養していと説明しました。
計画どうり1時間30分で案内できました。
樋口御一行様、ご訪問有難うございました。
またのご縁を期待しています。
よろしくお願いします。