大倉桃山コースのガイドレポート

2019年
11月08日

郷土史クラブ御一行様ガイド

本日(11月8日金曜日)のお客様は、

郷土史クラブ御一行12名様です。

内2名さんはリピーターさんでして、ガイド4名は、

感激感謝しました。

コースは大府駅→青木塚→大府観音→大倉公園を、

1時間30分掛けて、ゆとりを持ちながら散策観光を、

して頂きました。

まず大府駅から青木塚に移動しました。

          青木塚

現在は「新明社」となっているが、以前は「おしめさん」、

「青木塚」と言っていた。

言い伝えに依れば、水野信元に松平元康が、

仕掛けた石ケ瀬の戦と言われている。
 戦は、此の近辺で行われたと言われ、

どちらの武将か分からないが、傷ついて追い詰められ、

自刃をした場所と言われ、近くの住民が気の毒に思い、

塚を建て供養した所ですと説明した。

次の大府観音に移動しました。

              大府観音

昔大府観音(石亀土公園)辺りは、雑草が生い茂り田畑の収穫は悪く、

住民の不幸がつずいた。
人々は、あまり寄り付かず村人は困っていた。

昭和29年それを知った「柴垣法隆」と言うお坊さんが、

中心になり有志で御祈祷をし、土地をならし、

御堂を建て「観世音菩薩」を祀り供養したところ、

住民たちの不幸が無くなり、田畑の収穫も順調に良くなったそうだ。

それからは、この観世音菩薩は住民たちから、

「観音さま」と慕われ参拝する人も増えた。
 今では、この観音さまを「大府観音」と言い、

毎年10月には「大府観音大祭」を行っていると説明した。

次の大倉公園に移動しました。

               茅葺門

              休憩棟

  

         防空壕

全体説明、大倉公園は
元々は大倉和親の別荘として建てられたものでした。
1904年、日本陶器合名会社の初代社長となった大倉和親は、

西欧の高級陶磁器を上回るほどの極上の陶磁器を、

製造したいという夢のために、父・孫兵衛とともに、

大正8年に大倉陶園を設立しました。
明治44年、大府の立地に着目した大倉孫兵衛は、

陶管工場の建設を目的に大府町ガンジ山(現在の桃山町)

にあった御料林の払い下げを受けて購入。
しかし、この地を受け継いだ和親は、工場は建設せず、

桃畑中心の大倉農園を作りました。
3万本の桃の木が植えられたガンジ山一帯は、

春になるとピンク色に染まり、「大府の桃山」として、

新聞にも取り上げられたほどの美しさでした。
大倉和親の別荘は、大正期にこの農園の一画に建てられたものです。
しかし、連作できない桃は徐々に衰退。
昭和9年、農園の区画整理をし、分譲住宅地としました。

この時に住宅地の道路脇に桜の木も植えられ、

現在の桜並木の基となりました。

茅葺門については、平成21年以来10年ぶりにふき替えを行いました。
ふき替え作業は友好都市提携を結んでいる岩手県遠野市の、
一般社団法人遠野かやぶき保存協会の職人の協力を得て、
実施したと説明しました。
令和元年10月25日午後4時開門式を実施と説明しました。

この後、休憩棟、防空壕、ひょうたん池を案内説明しました。

予定どうり、1時間30分で案内できました。
郷土史クラブ御一行の皆様、訪問有難うございました。
またのご縁を期待しています。

 

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ガイドコース紹介

  1. 1
    JR大府駅
  2. 2
    青木塚
  3. 3
    延命寺
  4. 4
    山祇社
  5. 5
    大府観音
  6. 6
    桃山公園
  7. 7
    大倉公園