08月15日
江平原家族様ガイド
本日(令和3年8月15日 日曜日)のお客様は、江平原家族様3名で大倉公園内ガイドです。
まずは、茅葺門の扉に掲示した資料で説明を開始しました。
大倉公園は、大正8年に日本陶器の初代社長・大倉和親の別荘として築造されたものです。
昭和2年には賀陽宮恒憲王殿下(第3師団騎兵第三連隊長) がこの大倉別荘に滞在していました。
この地に別荘を築造したのは、明治の末期、大倉和親の父孫兵衛が洋風衛生陶器の製造工場用地として大府の立地に着目し、明治44年御料林 (ガンジ山) の払下げを受けた、しかし、それを受け継いだ和親は製陶工場の建設をせず、かわって桃農園をつくり地域の住民の目を楽しませるところとなった。そして桃の花に囲まれたこの地に、大倉和親は憩を求めて別荘を建てました。
と説明しました。
茅葺門については、大正10年に建てられたもので、昭和54年移築しました。 別荘当時は門の両側に使用人などが居住していたとされる付属屋もあり、別荘全体が贅を尽くした立派なものであったことをしのばせます。
次に庭園中央に移動しました。
大倉公園は、面積1.7haの日本の四季を優雅に楽しめる端正な日本庭園風の公園です。園内には、紅葉、アジサイ、椿、藤、桜、など四季折々の花が咲きますと説明しました。
次に休憩棟に移動しました。
休憩棟は入母屋造り、平屋建で、平面はL字形で、部屋の配列が鴈行形になっているところに特徴がある。客の動線は長くなるものの、L字形の北西角にあたるところに配膳室などを置くことにより、サービス動線を短くするという合理的な平面になっている。
和室には、細部に数寄屋風意匠がみられるのが特徴であると説明しました。
次に防空壕に移動しました。
休憩棟には、太平洋戦争中、(昭和18~19年)に造られたとされる鉄筋コンクリート造りの防空壕が現存している。出入口は、休憩棟の床下にある。その規模は、高さ2.45m、東西4.1m、南北2.2m、その広さは約9.02㎡で、天井には換気用のパイプ跡があり、パイプは地上に突き出ている。大府市内はもちろん、愛知県内でも、現存する個人住宅の防空壕として珍しいものであると説明しました。
次にひょうたん池に移動しました。
ひょうたん池に設置された母子のカッパ像は、大府市と遠野市との交流の証とした、平成21年10月に遠野市から贈られたものです。
その横に、令和元年10月25日に、あらたに、その父親のカッパ像が贈られてきて加わりました。
その三人に大府市の特別住民票が発行されましたと説明しました。
次に歴史民俗資料館に移動しました。
歴史民俗資料館では、おおぶ民話紙芝居1作品、創作紙芝居2作品を観賞して頂きました。
これで、予定どうり、1時間で案内できました。江平原家族様、訪問有難うございました。
またのご縁を期待しています。
よろしくお願いします。